2011年08月31日

カーディナルクライマックスに、想うこと

もうすぐ、暑い夏も終わりですね。

なんだか、3・11から走り抜けるように日々が過ぎ去り、私は自分の病院の手配をし、やっと涼しくなってきて一息、といった感じがしています。
少し立ち止まれたせいか、今になって、この半年の流れをふと考えることがあります。

昨年、「カーディナル」ということばを夢で見て、
とても大きな影響をもつ星の配置のことであり、昨年8月がピークだった、という日記を書きました。

最近改めて調べてみると、その頃の配置がまさに地震のあった今年3月中旬に再構成されたということ、
カーディナルクライマックスは、一旦くずれて再構成されたそのときのほうが、具現化としての力が大きいことを知りました。
なんと、能天気な私。今年のことはノーケアだった…

 


この3月のカーディナルクライマックスはかなり大きな天体の動きがあり、多くの方が、大きな出来事が起こる、新しい時代が始まる、意識の変化が起こるといった解釈をされています。

私自身は占星術に詳しいわけではないのですが(詳しかったらノーケアではいられなかったはず…)、占星術は何かを予言できるとか、こわいことが起こるとか、逆に大丈夫とか、運命が決まっているとか、そういうことではないのだと思います。


変わるべきことは変わらざるを得ないように、時を得て何かが起こり、直面させられていく。

星回りとは、私たちが今どこにいて、どこに向かえばいいのかを指し示してくれる地図のようなものである気がします。
 


もはやひとの痛みがひとの痛みではなく、私たち自身の痛みだと、感じざるをえないような今の状況。
人だけでなく、地球上の生き物たちも、同じひとつの運命共同体なのだと感じさせられる今。

これまでも大きな地震は起きたけれど、それとは何か違う、地球中が揺らがされているような感覚。

日本で起きた地震が、きっと世界中へのインパクトであっただろうし、地球の裏側との距離感も、この10数年でぐっと近くなり、地球は思っていたよりもずっとちいさな、ひとつの星であったのだという感覚が強くなっています。


少しずつ、意識が変わっていく。

大事なことは、起きたことをどうとらえ、どこに向かっていくか。どんな選択をしていくのか。

ひととひとを隔てる意識では、もう、私たちは生きていけない。


何も持たず、まっさらで生まれてきた時のような本来の自分で、やわらかく、あたたかく、ひかりでつながっていけるか。


かなしみはまだ胸の奥にあるけれど、抱きしめて 涙をはらって歩いていきたい。

 
揺らがされ、問いかけられながら、変わるべきときなのだと、あのときの夢は、星たちは伝えてくれていたのだなあと、改めて思うこのごろです。
 
 
この、美しい地球とともに、これからも歩んでいくために。
 
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(写真は、「永原ひつじ」さんのHPから。とても美しい写真がたくさんあります)
 
 
posted by Yoriko at 21:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

光でいられるか

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前の日記に書いた、泣こう、怒ろう、ということについて、考えています。

個人的な話になりますが、『Blessing your life』を作った直後に、急な病気で入院しました。

幸い私は生きているけれど、あのときはじめて、大切な人たちから突然に、永遠に引き離されるかもしれないという恐怖や悲しみを知りました

神様から(そのような存在がいるかは分からないけれど)、「何が起きても、”私たちは祝福されている”と思えるか?」と問われているような気がしました。どうして世の中には別れがあるの、神様がいるなら、どうして苦しみや悲しいできごとがこの世の中からなくならないのと、半分怒りながら、問い続けました。

その頃、なにかの本の中で出会ったことばが、心に響きました。
「私はあなたが転んだことに関心はない。ただそこからどう立ち上がるかだけに、関心がある」

その後のさまざまなできごとや心の変化の中で、私は祝福されている、すべての命は祝福されているのだと、前よりずっとゆるぎない確信を感じられるようになってきた矢先、先月の地震。

私の病気なんかよりずっと大きなことが、個人のレベルを超えて起こってしまった。
今また、もう一度神様に問いかけることになりました。どうしてこんなにひどいことをするの、どうして私たちを守ってくれないの。どうしてここまでしなければならないのですか、と。

また、同じところに戻ってきた気がします。

何があっても、私たちは乗り越えることができるし、愛は決してなくならない。そのことを、信じられるか。

本で見たあのことばのように、神様は何事も起こらないように私たちを守るのではなく、たとえ何かが起きたとしても、私たちがどのように顔をあげ、歩いていけるのかを、静かに見守っているのかもしれないと今は思います。

いのちと自分の尊厳を信じ、静かに、毅然としていられるか。

繰り返し繰り返し、らせんを描くように、同じことを問われながら進んでいくのかもしれません。

泣いても怒ってもいい。
混乱したり絶望してもいい。
けれど、そこにとどまることなく、そんな自分の気持ちを知り、ありのままに愛し、抱きしめて、もういいとこころから思えたら、手放して前を向いて行けたらいいのかもしれません。

急がなくてもいい。
それぞれのペースで。

街から多くのあかりが消えたとき、闇の中に、星のように決して消えないたくさんの光を見ました。

きっと私たちは、光でいられる。
大きなできごとに揺さぶられた自分の中の思いを見つめながら、今はそんなふうに感じています。

(写真は、プラタナス。日本名は鈴をかけているみたいだから、”すずかけの木”と言うそうです)

posted by Yoriko at 01:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

消えない炎

  『ずっと「個人的な思い」を傾けてきたことが軌道に乗ります。』

  『情熱をどんどん燃やしてきた人はその炎がちゃんと、消えない竈の 
  火のように安定供給されることになったことが、解るのだろうと思い
  ます。』


私の愛読している(笑)、石井ゆかりさんの今月のおひつじ座の予報です。
今、ありありと実感しています。

この前の、日曜日。COSMOのアートセラピー。
風が吹き、木漏れ日の差す部屋の中で、とても静かな、きらめいた時間をすごしました。

何年も前から、いつの日か私の中に生まれた、「自分で、何かをやっていきたい」という想い。はじめは、心理カウンセリングの仕事だと思っていました。

けれど2年前の秋、友人が不思議なメッセージを伝えてくれたのです。

  『あなたはひとりでピアノと向かい合っているとき、心の中の空間に
  ピアノを招きいれ、だれにも分からないような幸せな一体感を感じて
  いる。その一体感を、人とも分かち合っていくことになる』


私だけの、ひっそりとピアノと語り合う時間…。幸福に満ちていたけど、あまりに個人的なこの感覚を、直観のするどい彼女が見抜いてくれたことに驚きました。
そんな時間を、自分だけの楽しみのためだけでなく、だれかに分かち合ってもらっていいんだ…。
その時、私の夢に「音」が加わり、ますますふくらんでいったのでするんるん

漠然としていた夢が、いつしかその夢を共にし、具体化し、足りない力を分けてくれる最高のパートナーに恵まれ、すばらしい場やさまざまなサポートをいただいて、今、現実となっています。

そしてそこに参加してくださる方がいる。純粋なきらめきを放ってあふれ出るこころの色、こころの形。それを肌で感じながら手探りで音を使って進めていく中で、無言の、でもあたたかい対話の場が生まれていくことへの不思議な充実感を覚えました。

すべては、私ひとりではできないこと。感じられないこと。

歩みだしたばかりで、まだこれから見えてくること、変わっていくこともたくさんあると思います。もっともっとこんなふうにしていきたい、こんなことをやってみたい、ということが湧き出てきます。
現実的なカタチにするまでに、ああでもないこうでもないと話し合ったり、そんな時間も楽しくて仕方がありません。

熱くなりすぎると、燃え尽きる。けれど今、消えない炎が私の中に静かに燃え続けているのを感じています。
きっと私が今ここで、私として生きていられることに対する、たくさんの方への愛と感謝の炎なのだと思います。

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ワークショップの開催模様は、こちらです。
posted by Yoriko at 16:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする