2015年08月21日

私にとってのカウンセリングと、音楽と

夜になると虫の音が届くようになり
暑かったこの夏も、ようやく一段落。

8月は、イベントをはじめさまざまな出会いや、とても大切な研修や、
その研修の旅先で風邪を引いて寝込んだり
さまざまな人とのやりとりや
いろいろなことがあって、
いろいろなことを感じさせられる濃い日々でした。
(まだ半ばだけど)

詳しいことは省きますが、そんな日々の中で、
私にとってこれまで、つながっているに違いないという確信があったけれど
どうしてもつかめなかった、言葉にならずにここまできた
私にとってのカウンセリングと、音楽のつながりが
その両方をやりたいことの意味が
ようやく見えてきた気がして、
この記事にまとめておきたくなりました。

ちょっと説明が長くて、自分のための記事になってしまうかもしれません。

カウンセリングというのは、私にとっても、たぶん一般的にも
「癒し」ということとほぼイコールに近いほどの密接なものであって
でも、「癒し」って、なんだろう…と、仕事をすればするほど、
考えれば考えるほどわからなくなっていたこの10年余りでした。

音楽も、「癒し系」と言っていただくのが嬉しくて、
でも、カウンセリングとは明らかに違って、だれかの心の傷と向かい合ったりはしない。
カウンセリングの癒しとどう違うのか。
そして、どうして、両方やってるんだろう、私はどうしたいのだろう、どこに向かいたいのだろう、と自問自答の日々。

カウンセリングについて言えば、カウンセリングの目的って、癒しって、結局、
問題解決するということ?
それとも、気持ちが重要?悲しみ苦しみを分かちあってもらって、気持ちが楽になること?
それとも、問題を手放すこと?
問題を乗り越えることで、成長すること?
ありのままの自分を受け入れること?自信を持てるようになること?
自己実現すること?
…etc.

その自分なりの答えに気づくために、「ロルフィング」という、体からのアプローチのこの方の記事がとても参考になりました。
(勝手に、ネットで行き当たって読ませていただきました)

ロルフィングとは、体の本来の伸びやかな働きを取り戻すためのもので、その過程で深い呼吸や、体の中の柔軟なつながりが取り戻される、と私なりに理解していますが、
その意味を、心の側面に置き換えたものを、カウンセリングでやりたかったのだと。

私にとって「カウンセリング」の「癒し」とは
その人が、本来もつその人の素晴らしさ、本来の伸びやかなその人らしさを存分に発揮できるようになるという目的のために
その妨げになっている心の傷や、こわばりなどを解放することだったのだとわかりました。

そのための、方法としての受容や共感であり、問題解決(を一緒に考えること)であり、副産物として成長があったり、自己受容があったり…なのだなあと。

「調和」と「全体性」。
これが心身において保たれていれば、人は自然に満たされた状態で時の流れに従って変化していき、
人とのあたたかなつながりを築き、その中で成長し、自分らしさを発揮して生きていくことができる。
自分の心身を信頼し、力を入れすぎずに穏やかにさまざまな物事にしなやかに対処していくことができる。

けれども、その自然に動いていくはずの変化の流れが妨げられるところに、心の傷やこわばりがある。
カウンセリングを通して、私はその流れを妨げているものを取り除くお手伝いがしたい。

そして、音楽を通して、
その人の妨げられていた自然な流れが動き始めたとき、そこから輝き出すその人のもつ本来の美しさと響き合いたいのだと思います。

あなたは素晴らしい。私も素晴らしい。
あなたも、私も、そのままで、いいんだよ。
あなたの中の、内なる自然や、宇宙や、愛と、素晴らしさと、喜びや悲しみや、さまざまな自然な想いと、共鳴したい。
音楽をしているとき、私自身に対しても、聴いてくださる方に対しても、私にはそんな想いがある気がします。

私自身が、これからもっと自分の中のさまざまなものと向き合い、解放され、より深まっていく中で
人と共鳴できる部分は増えていくのだと思うし、
カウンセリングと音楽が、より分ちがたいものとして私の中で重なり、しっかりとより合わされたひとつの綱になっていくのかもしれない、そうなっていってほしいと思います。

カウンセリングも、音楽も
未熟な限りですが、
向かいたい先がようやく見えて来たことが、今の喜びです。
そして、今の不完全な私も、このままで十分に素晴らしいのだと、受け入れることにしましょう。
みんな、そのままで十分に素晴らしい宇宙なのだから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



明後日の23日、チャリティーコンサートに出演します。→詳細はこちら


posted by Yoriko at 22:28 | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月16日

『その道はひらかれている』

   大好きな人と出逢った
   癒しと受容の大きなエネルギー
   私もそうなりたいと願った
   そんなあたたかな存在に

   私の中にその道はひらかれている
   私自身をしっていくこと
   私自身をうけいれていくこと
  
   私は愛されている
   限りなく限りなく 愛されている
   私の中の どんな考えや感情も
   すべてありのままに そうなんだねと
   認め ゆるされている
   
   ありがとう あたたかな人
   ありがとう
   ありがとう
   
   ありがとう そばにいてくれるなにか
   ありがとう 私を見守り導く 目には見えぬもの
   ありがとう 私
   ありがとう
   ありがとう
   ありがとう
   ありがとう
   
   ありがとう 私のすべての感情
   ありがとう 私のいのち
   ありがとう 私の手足
   ありがとう 私の目
   ありがとう たくさんの友達
   ありがとう 私の家族 
   ありがとう 私の寝る場所、この家
   ありがとう 私の働くところ
   ありがとう 出逢ってくれた人たち
   ありがとう 私を支えてくれるもちもの
   ありがとう 導いてくれる人
   ありがとう 世界に生きる人びと
   ありがとう 美しい花や自然
   ありがとう たくさんのいのち
   ありがとう たくさんのいのち
   ありがとう すべてのいのち
   ありがとう これまでのすべてのこと 
         すべてのこと
           すべてのもの
         すべてのひと
   ありがとう
   ありがとう
   ありがとう
   ありがとう… 

   
   
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posted by Yoriko at 21:46 | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

あなたと私

花や空の写真を撮ったり、果てしない宇宙を感じる音楽を聴いたりしていると、いつのまにか体がなくなって宇宙に広がっていくような気がしてくる。


私は空になり、風になり、花になり、地球になる。

私は宇宙とひとつであり、宇宙そのもの。


そして、また自分にかえってくるとき、ひとりの人間としての体を与えられ、名前を与えられて生きていることの、意味を思う。

宇宙ではすべてが喜びでしかないのに、体を与えられた私は、未熟で、間違いをおかし、すれ違い、痛みを感じる。


悲しいときは、どんなときも理由はただ一つ。こころが伝わらないこと、つながれないことが原因だ。


他の存在と自分を隔てるこの体はなんて、窮屈なことか。


私たちは本来ひとつだ。

私は花。花は私。

私はあなた。あなたは私。


けれど、別々の人間として、まるで別々の存在として、今この地球上に現れているということ。


そのままならあまりに当たり前に感じてしまう、すべてはひとつであることの幸せを確認するために、別々の形をとって生きているのかな。

思う通りにならないからこそ、ありのままの自分をゆるし、ありのままの相手を愛し、こころがつながったと思えるとき、お互いの間に隔たりがないことに気づかされていく。

あなたは私であり、私はあなただった。


間違っても、すれ違っても、あなたの笑顔がうれしくて、やっぱり私たちはひとつなんだと、気づくんだ。





posted by Yoriko at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする