2011年12月06日

ただいま。

久しぶりの更新です。

すっかり間を空けてしまってごめんなさい。

10月30日に入院し、11月9日に手術を受けてきました。
おかげさまでうまく閉じていなかった私の心臓の弁はしっかり閉じるようになり、退院してもうすぐ2週間ですが、経過も順調です。

不具合はよくなりましたが、手術をがんばった心臓が本調子になるには、しばらくかかるようです。

今はお散歩をしたり、のんびりリハビリ生活をしています。

すぐに眠くなったりしてしまい、一日があっという間なのですが…

ゆっくりする時間はとっても貴重ですわーい(嬉しい顔)


帰ってきて、早速リハビリと称してカメラを持ってお散歩に出ましたるんるん





手術は、結構すごかったですたらーっ(汗)

なにせ、比較的方法が確立しているとはいえ、心臓を止めて、切って治すのですたらーっ(汗)(その間血液を全身に循環させる人工心肺をつけるので、心臓を止めても大丈夫なのだけど)

人間ってすごいことを考えるもんだなあ〜。

人間のからだもけっこう頑丈なんだなあ…


術後はベッドの上に座ることからはじまり、ベッドサイドに足を下ろして座る、立つ、ということがすべてリハビリでした。最初は座るだけで頭がクラクラ…。

普段何気なくやっている動作でも、頭が上になった、足が下になった、歩いた、といったことに合わせて、知らない間に体は細やかに血圧を調節し、スムーズに体が動くように、必要な血液を送り込んでいるんですね。

体ってすごい。

今は、まだたくさんは出歩けないけど、普通に外を歩けることが幸せな毎日です。




そうそう、入院前あたりから、岡部明美さんの『私に帰る旅』という本が気になっていて、退院してからページをめくりました。

「治る」ということは、ただ体の不具合が治るということではない。

病気には深くこころが関わっていて、ほんとうは、そのこころが変化しなければ、根本的に治ることにはならない。

うすうす感じていたことが、そのまま書いてありました。


カウンセラーでありながら、自分のこころを知ることはあまり得意ではないようですたらーっ(汗)

が、この機会に、見えてきたこと、感じられたことがたくさんありました。


これまで受け入れられなかった自分の側面。

浅かった見方。

根治はしない大病をしている方もたくさんいて、生きるということを考えさせられました。

私はどんなふうに生きたいのか?
治るということ、生かされているということは、どういうことなのか?

病気とは、健康とは、どういうことなのか?

そして私の一番の関心は、こころとからだの関係ーいのちという営みに隠されている秘密にあります。
 
           


岡部さんの本や、シーゲル博士、アンドルーワイル博士などの本にヒントを求めています。そして、自分のからだから、教えてもらえればと思っています。
            

この大きな体験を機に、大切ななにかをつかみたい。そしてもっと深く、こころとからだを見つめられるカウンセラーに、もっとクライアントさんのことを深く理解できるカウンセラーになりたいと思っています。

ということで、長くなりましたが、ご心配いただいた方、励ましてくださった方、本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたしますハートたち(複数ハート)






posted by Yoriko at 18:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

絶えることなく

先週金曜日、2回目の受診病院手術の日程を仮決めしました。

二度目にお会いする先生、看護師さん、やっぱりてきぱきしていて優しくて、本当に素敵…。先生は小さな傷の手術をしてくださるのですが、同じ手術を受けてフォローアップで受診していた患者さんに会わせてくださり、お願いして傷を見せてくださったり。

先々週の検査の様子などもご存知で、「大変だったね」と声をかけてくださったり。

どんなに忙しく、大変な現場にいても自然ないたわりの雰囲気が消えないのは、すごいことだなあ。
そして結局は、そういう力が人を回復させるのだと思う。

またまた感動してしまいましたぴかぴか(新しい)


ということで…

しばらくコンサートはお休みしているのですが、曲も大分揃ったのでCD製作に取り組み始めています。

一枚目の『Blessing Your Life』もプレスに出した直後に入院して、ベッドサイドに完成品が届けられたのでしたが、奇しくも二枚目も同じような状況での取り組みとなりました。


最初の入院中は自分の身に起こったことをひとつひとつ受け入れていくだけでいっぱいで、でもその中で、不思議なことがいくつかあった。

病室の番号が自分の誕生日と同じで、それを夢の中で教えられ、目が覚めて見たら確かにそうだったこと。

もうろうと過ごす中で、ふとした時に何度も「愛してるよ」「愛してるよ」と、声とも文字ともつかないものが、呼びかけるように浮かんできたこと。

退院後は、ある詩集の著者と偶然に出会い、その詩集が偶然にも家にあったことを思い出して探して読み返したら、そのときの私にぴったりの内容だった、なんてこともありました(岡部明美さんの『戻っておいで、私の元気』というとても美しい詩と写真集です)。


ありったけの愛をもらった退院祝いのパーティー、猫のあんこの隣でぽかぽかお昼寝した療養の日々、Cosmoも始められたし、それからずいぶん回復して、得難い出会いに恵まれ、どれだけ、幸せに包まれてきたことか。。晴れ


人生には思いもつかないこともあるけれど、きっとどんなときも必ず、それを乗り越えるための愛が、絶えることなく注がれているのだと思う。

美しい空から。道ばたの花から。ふと手に取った本から、だれかのことばから。

受け取って、次に進んでいきたいと思います。




追記:手術は、壊れてしまった弁膜を再建するというものです。心臓の状態にもよりますが、うまく治ればフルマラソン、エベレスト登山をする人もいるそうexclamation×2医学ってすごいですね。私はどうなるかなあ〜?よくなっても、エベレストに登ることはないと思いますが…。
    
posted by Yoriko at 18:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

いのちへの畏怖

愛猫のあんこが18歳で亡くなって、もうすぐ1年になろうとしています。

あんこはもう、ほんとにめちゃめちゃかわいい子だったのです…ハートたち(複数ハート)という、親ばかな話はまたにするとして。


あんこが見せてくれたお別れのプロセスは、自然死を看取ったことのない私にとって、衝撃でした。

昨年夏、母が旅行にでかけて数日してから容体が急変し、そのままもうろうとする意識の中で、数日間じっと母を待っているように見えたあんこ。

母が帰ってきて、1時間ほど後。私には、あんこがはっきりと、「じゃあ、行くね」と伝えてくれたように見えました。

それから2時間ほどかけて、どこがどう、と言うのは難しいのだけれど、体の様子が変化していき、ああ、あんこはもう、この体から抜けつつあるのだということが見て取れました。

体に魂が宿っているかどうかは、見て分かるものなのですね。それは一瞬で終わるものではなく、「ここまで行く」と決めて少しずつ進み、迷うことなく、確固たる目標地点に到達するような、いのちの神秘のプロセスでした。


あんこは、きちんとお別れをして、体を離れる時を決めていった。


そのプロセスを、意志を持って成し遂げたあんこに、私は圧倒されるような、畏怖の念すら覚えました。

あんこに、というよりも、いのちのすさまじさに、だったのかもしれない。


突発的なできごとで、時期を選べない死もあるかもしれない。けれど、いのちにははかりしれない神秘がはたらいているのだと思います。

私たちのいのちは、ただ決められた運命に翻弄されて、犠牲になるだけではない。いのちは強く、決して受け身ではない。死は闇でもない。

いのちは体を離れても続いていて、地上にいる私たちを見守ってくださっているかもしれない。いつかまた、思わぬ形で会えるかもしれない…。


今は姿を持たないたくさんのいのちに対する畏敬の念と、冥福をお祈りする気持ちと共に、そんなことを想って過ごすお盆です。





posted by Yoriko at 21:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする